まいど! 関西労働学校です
人間らしく生きるために 社会と人間の根本を学ぶ
第185期 自然科学教室 第10回 「自然はくみつくせない」
ブログアップが大幅に遅れて申し訳ありません。
前回、10回目の講義(4/11)でこの自然科学教室も最後の講義となりました。

最後の講義は量子力学の説明でした。

量子力学はミクロの世界の話ですが、これらの表す物質観に沿うと常識では考えられない不思議な事が起こっていると言います。

まず、アインシュタインは「量子力学が正しいなら、月は見ているあいだはそこにあるが、見ていなければあるとはいえない。そんなばかな事が信じられるか」といい、
ガモフは「大きな物体、たとえば自動車が壁にぶつかったとき、そのまま素通りする事がある」と述べたと言います。

???…がいくつも沸きそうな事を言っていますが、これらは、私たちと無関係なものではなく、身近に存在する半導体を活用したパソコン、テレビ、携帯電池、ソーラー電池や物理学、ヒトゲノム解析、CTスキャン、ナノテクノロジー、最新宇宙論などありとあらゆる事に活かされていると言います。

1900年にプランクの提唱したミクロの世界の物質の動きを説明する「エネルギー量子」はエネルギーを小さな塊の集合とし、1905年にアインシュタインは「光電効果」の説明にこれを適用し、「光も粒である」という「光量子」の考え方に発展させました。

古典物理学では粒子と波は互いに相容れない正反対の性質を持つ現象として扱い、1つの粒子は空間のごく狭い領域を占め、同時に2つ以上の場所に存在する事はなくそこに別の粒子が重なる事もありませんが、波は1点に存在するのでなく、空間の可能な領域に広がり、空間の同じ場所にいくらでも重ねる事ができます。
光はあきらかに波の性質を持っていますが、光電効果などのミクロの世界の現象を説明するためには光も粒子でなければなりませんでした。光が波でありながら粒子の性質も持つなら、逆に粒子である電子にも波の性質があるのではないか。そんな発想からド・ブロイは1923年に「物質波」を提唱しましたが、数年後それは予言したとおりになりました。

電子や光があるときは粒子、あるときは波の性質を示す事からそれらは、粒子であり波である。そして、粒子でもなく波でもない。としました。それまで自然には粒と波の2種類あると考えられていましたが、自然にはただ1種類の“このようなもの”が存在することになったのです。

量子力学ではこの世界の基本的要素である粒子自身が本質的に“もやもや”した性質を持っているといいます。量子力学ではこうした「不確定性原理」が強調される事があります。しかし、それは「原理」というようなものではなく、「自然のなかに許される状態を量子力学がみつけた」というだけの事です。物理量の値はいつでもはっきりと決まっているわけではない、「電子がある位置に静止している」などという状態は自然のなかではありえない。自然がそういうものであることをあきらかにしたのが量子力学なのです。

自然は人が知るか否かに関係なく決まった性質を持って存在する-この自然像は今まで当たり前の事として誰も疑いませんでした。しかしミクロの世界ではそうした「素朴な実在論」は通用しません。ミクロの世界は直接的に観測できないため抽象的な数学的方法によって量子力学的に表現するしかありません。しかし、マクロの世界もミクロの物質で出来ているのですから量子力学は全ての自然に適用されなければなりません。自然は根源的に偶然的です。量子力学は全ての物質がいつでも決まった性質を持っている事を否定しています。そうした量子力学の世界がどんなに奇妙に見えても奇妙なのは自然自身なのです。

近代科学は「要素還元主義」を主要な方法として大きな成果を残してきました。ニュートン力学の成功に始まり、量子力学の建設にまでいきつきました。しかし、要素還元主義でも扱えない問題もあります。「カオス」「非線形」「フラクタル」などの用語とともに語られる「複雑系の科学」です。地球環境・気象、地震、火山、生態系、人体、脳神経、経済活動などです。それらは、多数の要素が絡み、それぞれの要素に不明な点が多く、単純でない関係もあり、部分の和=全体とはなりません。予測が困難で常に不確実性を伴う現象はいくらでもあります。

これまで自然科学について学んできましたが、「科学」とは人間の認識活動であり、真理の獲得です。真理とは対照と認識の一致であり、それは唯物論の立場であり、また科学の姿勢でもあります。自然科学は対象の存在を明確に認める唯物論の立場を貫きながら、自然をありのままにその現象と本質を統一的に捉えようとするものです。

もちろん人間の認識は完全ではありません。特定の対象の特定の領域について、特定の条件のもとで確証されたものでしかなく、一度形成されたら揺るがない「不変の原理」や「絶対真理」といったものもなく、人間の認識の発展と共に歴史的に発展するものです。そういう意味で科学的真理は「相対的真理」にすぎません。
しかし、だからといって「科学的真理などあてにならない」「科学が発展すればするほどわからない事が増える」「本当の事は分からない」というような事でもありません。
「相対的真理」はいくら積み上げても絶対的真理になりえないのではなく、その中に初めから絶対的真理を含んでいるものです。そういう弁証法的な捉え方が大切です。

文明以前の時代、人々が自然に対しての畏怖や尊敬から生み出した宗教的概念…と同時に周囲の外的自然について素朴ではあっても唯物論、弁証法的な見方がしだいに成長していったと思われます。古代ギリシアの自然哲学により自然の客観化し、思考による抽象を通して具体的な諸現象の真相を捉える新しい観点が打ち立てました。近代科学は分析的方法と実験的方法を組み合わせ実証の精神と合理的精神と批判的精神に富んだ科学の方法を発展させました。

社会を支配する人たちはこうした科学的なものの見方が働く人々のあいだに広がる事を恐れ、化学の土台となる唯物論への攻撃が繰り返されてきました。

現代社会においては、自然・社会・人間についての真理を探究し、その事によって人類の福祉や社会進歩、国際平和に貢献しようとする科学本来のあり方と企業の利潤や国家的目的に従属した研究を進めようとすることによって、国民生活や自然環境に重大な影響を及ぼしたり、国家権力の支配に奉仕したり人類を滅ぼしかねない方向へ導く科学の歪んだあり方との鋭い矛盾が現れています。

科学研究をめぐるこうした現状のもと、科学の「産業化」、「軍事化」、「体制化」などを批判する議論が多く見られます。こうした科学批判は科学本来の立場を守るためにも重要ですが、これが転じて反科学主義が主張されるのであれば、なんの解決にもなりません。

科学は事実に基づいて合理的認識を形成するものですから、思想や意見の違いを乗り越えて多くの人々の合意を形成していく事になります。
だからこそ支配者は働く人たちが「科学的な視点」を持つことを嫌います。

科学を無視したり軽視するたくらみは結局、民主主義を破壊することに繋がります。この国の民主主義を徹底するために学習と討論をつうじて、いまこそ自然科学をわがものとしようではありませんか。

(以上、メチャクチャ長い講義抜粋終わり…)

最後は哲学の領域にも踏み込み、科学を学び、世界観や社会観がしっかりしていなければ真実を探求する人間の立場もふら付くという事が言われていました。
「現象と本質」、「相対と絶対」、「客観と主観」これらの条件をもとに働くもの(もちろん、そちらの立場にある多くの仲間)が真実を見抜く目を養っていかなければ真の発展や未来はありえないという事だと思います。

最後は修了式があり、みなさん老若男女問わず、この難しくも面白い講義に活き活きとした表情で10回を通しての感想を述べられていました。
久しぶりに学びに来られた方、全く分からなかったが先生の熱意が伝わってきたという方、学生時代分からなかった事がぼんやりとでも分かったという方、科学と差別の問題についてずっと考えていたという方、仕事で疲れてしんどい事も多かったがここに来ると切替えれたという方、分からないという事が分かったという方…

本当に色々な立場でここに来られているんだと実感し、はたらく仲間と学ぶ場所が存在する意義をあらためて感じる良い修了式でした。

そして、【お知らせ】ですが、5月27日(土)から自然科学ゼミが開講します。

●2017年5月27日 (土)~ 11月11日(土) 毎週土曜日(全10回)
  14:00 ~ 16:00 
  会場:関西勤労協会議室(森ノ宮)  講師:牧野理啓先生

今回の講義だけでは理解できなかったという方、新しく科学の事を学びたいという方、うってつけだと思います。

また、5月30日よりの186期関西労働学校の各教室も合せてよろしくお願い致します。
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[2017/04/23 12:38] | 自然科学教室 |
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