まいど! 関西労働学校です
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185期日本近現代史教室5回目
 185期日本近現代史教室の第5回講義が3月8日に行われました。講義タイトルは「サンフランシスコ講和と沖縄」でした。

 前回の講義内容の流れから、戦後沖縄の人々が生活の糧とした大きなものの一つとして、スクラップがあったということが取り上げられました。
 「鉄の暴風」と言われた沖縄戦での艦砲爆撃。それによって残された不発弾を含む鉄の塊たち。それが、戦後の沖縄の人々の生活を支えるということがあったそうです。
 1950年に起こった朝鮮戦争によって、軍事物資の需要が高まり(「朝鮮特需」)、日本は経済復興を果たします。その中で、鉄鋼の需要も高まり、沖縄のスクラップがそれに充てられたのです。当時の沖縄からの輸出の5割ほどを占めていたようです。しかし、スクラップ収集はかなりの危険な作業で、多くの死傷者を出しました。それでも、まともな仕事少なかった沖縄では、「不発弾を恐れていては生活ができない」と、スクラップを家族総出などで集めて生活の糧にしていました。

 1951年にサンフランシスコ講和条約が調印され、翌1952年に発効し、日本は形のうえでは独立を果たします。しかし、沖縄・奄美は日本から切り離されました。1953年には、住民の復帰運動もあり、奄美諸島は日本復帰を果たしました。しかし、アメリカにとって「最重要基地軍」と位置付けられていた沖縄はこの時には日本へ復帰することはありませんでした。
 沖縄で起こる復帰運動を弾圧するために、米国民政府は布令・布告を出し、徹底して抑えつけました。
 「早期復帰」「アメリカと対立せずに理解を得ながら復帰を探る」「親米琉球独立」など、様々な主張がいくつもの政党によって出されました。

 このように、弾圧と抵抗が繰り返されてきたのだということを、今回の講義でも学びました。
 次回以降も、沖縄の不屈のたたかいの歴史を学んで行きます。
 次回、第6回目の講義は、3月15日です。テーマは「米軍基地の形成・展開と『島ぐるみ』闘争」です。

毎回、感想交流後に行っている交流会は、今回、「こんな沖縄知ってる?」をテーマに、それぞれが沖縄のことで知っていることや感じていることを出し合いました。
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[2017/03/15 01:29] | 近現代史教室 |
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