まいど! 関西労働学校です
人間らしく生きるために 社会と人間の根本を学ぶ
185期日本近現代史教室7回目
 185期日本近現代史教室の第7回講義が3月22日に行われました。講義タイトルは「ベトナム戦争と復帰運動のなかの沖縄」でした。
 
 1960年代から1970年にかけての時代の出来事を学びました。
 ベトナム戦争にアメリカが本格的に介入していくことで、沖縄は最前線基地としての役割を担わされました。そのため、戦闘機、爆撃機、給油機などの配備と飛行が激増し、道路も米軍がわがもの顔で使用し、様々な事件が起こされました。信号を渡っていた中学生が、信号無視でつっこんできた米軍車両に轢殺された事件。空からトレーラーが落ちてきて下にいた小学生が圧死する事件。などなど、想像を絶する事件が起こされ、しかもその犯人はしっかりと裁かれることはありませんでした。

 このような状況の中、「アメリカ軍が人殺しをするために沖縄の土地を使わすわけにいかない」と、土地を守ることと、ベトナム戦争反対の運動とが結合していきます。
 そして、基地のない沖縄を目指し、日本復帰を果たすことをかかげて、復帰運動が発展し、本土との連帯も進みました。

 次回講義は、「復帰後の沖縄」がテーマで、不可能と言われた、沖縄の日本復帰を勝ち取ってからの沖縄を学びます。
 
また、第9回目の講義を公開講義としますので、どなたでも気軽にお越しください。
 4月5日(水)午後6時45分からです。テーマは「沖縄と教科書」です。

毎回、感想交流後に行っている交流会、今回は、来期の呼び掛け文を皆さんで、読んでみて感想など出し合いました。
今話題の「森友学園」「森友学園の予定地の見学体験」「瑞穂の國小学院」「学校の木造建だと、補助金が出る」「塚本幼稚園児の教育勅語の暗唱・運動会の安倍首相の宣誓(エール)」「君が代・国家」「日の丸」「育鵬社の教科書は、海外では通用しない!!」など話がつきない交流会となりました。「教育勅語」をスマホで現代風に読んでもらい、背筋が冷たくなるような内容でした。

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[2017/03/28 22:08] | 近現代史教室 |
185期日本近現代史教室6回目
 185期日本近現代史教室の第6回講義が3月15日に行われました。講義タイトルは「米軍基地の形成・展開と『島ぐるみ』闘争」でした。
 1952年にサンフランシスコ講和条約が発効し、沖縄が日本から切り離されると、それまで日本本土にあった米軍基地が沖縄に集中していきます。その過程で「銃剣とブルドーザー」といわれた、激しい住民排除のリアルな状況をいっぱい講義で聞きました。
 「なぜ、そんなに非人間的なことができるのか!」という憤りの声もありましたが、「軍隊とはそういうものなんだ」ということも出されました。このように考えると、「戦争につながる全てのものに反対」ということが、本当に重要なことだと感じます。
 
 次回講義は、3月22日「ベトナム戦争と復帰運動のなかの沖縄」です。
 また、第9回目の講義を公開講義としますので、どなたでも気軽にお越しください。
 4月5日(水)午後6時45分からです。テーマは「沖縄と教科書」です。

毎回、感想交流後に行っている交流会は今回、お食事交流会第3弾。恒例の一言発言は「桜でイメージすることは?」でした。その話題から、入試の話や子どもの話、仕事の話などいろいろな話題に広がりました。

[2017/03/21 22:25] | 近現代史教室 |
185期日本近現代史教室5回目
 185期日本近現代史教室の第5回講義が3月8日に行われました。講義タイトルは「サンフランシスコ講和と沖縄」でした。

 前回の講義内容の流れから、戦後沖縄の人々が生活の糧とした大きなものの一つとして、スクラップがあったということが取り上げられました。
 「鉄の暴風」と言われた沖縄戦での艦砲爆撃。それによって残された不発弾を含む鉄の塊たち。それが、戦後の沖縄の人々の生活を支えるということがあったそうです。
 1950年に起こった朝鮮戦争によって、軍事物資の需要が高まり(「朝鮮特需」)、日本は経済復興を果たします。その中で、鉄鋼の需要も高まり、沖縄のスクラップがそれに充てられたのです。当時の沖縄からの輸出の5割ほどを占めていたようです。しかし、スクラップ収集はかなりの危険な作業で、多くの死傷者を出しました。それでも、まともな仕事少なかった沖縄では、「不発弾を恐れていては生活ができない」と、スクラップを家族総出などで集めて生活の糧にしていました。

 1951年にサンフランシスコ講和条約が調印され、翌1952年に発効し、日本は形のうえでは独立を果たします。しかし、沖縄・奄美は日本から切り離されました。1953年には、住民の復帰運動もあり、奄美諸島は日本復帰を果たしました。しかし、アメリカにとって「最重要基地軍」と位置付けられていた沖縄はこの時には日本へ復帰することはありませんでした。
 沖縄で起こる復帰運動を弾圧するために、米国民政府は布令・布告を出し、徹底して抑えつけました。
 「早期復帰」「アメリカと対立せずに理解を得ながら復帰を探る」「親米琉球独立」など、様々な主張がいくつもの政党によって出されました。

 このように、弾圧と抵抗が繰り返されてきたのだということを、今回の講義でも学びました。
 次回以降も、沖縄の不屈のたたかいの歴史を学んで行きます。
 次回、第6回目の講義は、3月15日です。テーマは「米軍基地の形成・展開と『島ぐるみ』闘争」です。

毎回、感想交流後に行っている交流会は、今回、「こんな沖縄知ってる?」をテーマに、それぞれが沖縄のことで知っていることや感じていることを出し合いました。
[2017/03/15 01:29] | 近現代史教室 |
185期日本近現代史教室4回目
 185期日本近現代史教室の第4回講義が3月1日に行われました。講義タイトルは「米軍支配の始まり」でした。
 沖縄の米軍支配は、沖縄戦の進行と並行して行われていったということでした。米軍が占領した地域から軍政を敷いていったのです。
 また、米軍は沖縄を、対日戦争の日本本土決戦のための最前線基地とするために、住民を移動させ、飛行場を補修、拡張していきました。
 収容所に入れられた住民がようやく解放されたときには、もともと住んでいた場所や、豊かな農地はフェンスに囲まれた軍事基地とされていました。
 その後、日本本土の復帰を優先する占領政策によって、沖縄は犠牲にされていったのです。
 米軍は、基地労働に従事する労働力確保のために、沖縄に貨幣経済を復活させ、お金がなければ生きていけない状況にしました。住む場所も豊かな農地も奪われた住民は、米軍のために働かなければ生きていけない状況に追いやられたのです。

 今回の講義の中で、2016年8月20日に放映された「沖縄 空白の1年~“基地の島”はこうして生まれた」を見ました。その中で、アメリカも当初は沖縄に自治的組織を築こうとしていたことや、それがアメリカの様々な思惑で、今に続く“基地の島”とされてきた流れを学びました。
 マッカーサーが「沖縄を米軍が支配しても、日本人は沖縄を日本と思っていないから、文句は言わない」というようなコメントを残していることに、驚愕の思いがしました。

今回の交流会は、「あいうえお作文」をみんなでつくって交流しました。一つ目のお題は「おきなわ」。2つ目は、講師の名前を使ってやりました。
 お題に絡んだものだけでなく、全く関係のないもの、差し入れのお菓子に絡んだものなどいろいろ個性的なものが出されました。なかなか思い浮かば医という人も、他の人のものを聞き楽しんでいました。

 次回、第5回目の講義は、3月8日 本日です。テーマは「サンフランシスコ講和と沖縄」です。
[2017/03/08 12:41] | 近現代史教室 |
185期日本近現代史教室第3回目
 185期日本近現代史教室の第3回講義が2月22日に行われました。講義タイトルは「沖縄戦のなかで」でした。

 日本の戦争で唯一住民を巻き込んだ地上戦が繰り広げられた沖縄。住民の4人に1人が犠牲になった沖縄戦。
 沖縄戦とはどのようなものだったのかを、写真などの資料も使い学びました。
 日本軍がいない所では集団自決が起こらなかったことや、軍隊は住民を守らないというはっきりとした事実を学ぶと、平和のための軍隊なんてありえないのだと感じさせられますね。
 軍隊や軍事基地というのは戦争するためのもの。戦争は必ず悲惨な結果が付きまとうもの。などのことを沖縄戦を学ぶことではっきりと知ることが出来ます。

 今回の交流会は、「お食事交流会」第1弾でした。日本国憲法成立過程の番組の話や、実は講師の後輩だという話などが出され、飲んで、食べて、しゃべっての交流でした。

 次回、第4回目の講義は、3月1日で、「米軍支配の始まり」です。

 
[2017/02/28 12:19] | 近現代史教室 |
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